草軽電鉄の鉄路跡をさらに進む
おさらいを兼ねて、当時の時刻表を確認。時間は、当時の3番電車(10:30発)と熊太郎Carの到着時間(赤マーカー)
草津温泉 10:30
谷所(やとこ)10:49 11:01
草津前口 10:55 11:04
万座温泉口 11:10 11:12
湯窪 11:29:30 11:19
東三原 ?? 11:23
上州三原 11:38 11:27
嬬恋 11:42
小代(こよ) 12:00:30
吾妻 12:17
北軽井沢 12:28
栗平 12:36
二度上 12:55:30
国境平 13:05
長日向 13:20:30
小瀬温泉 13:30
鶴溜 13:44:30
三笠 13:56
旧軽井沢 14:01:30
新軽井沢 14:05
こうやって比べると万座温泉口で何かが起こっているね。万座温泉口から湯窪間、結構時間がかかっている。
想像だけど硫黄を積み込んでいたりしてたのかもね。
さてさて、草津温泉から山を下り、吾妻川のまでやってきた草軽電鉄(というか熊太郎)、
吾妻川を渡ったところにあるセブンイレブンの横に嬬恋村観光協会の建物があります。
ここは嬬恋村の各種案内情報が紹介されている施設なのですが、そこには草軽電鉄の模型が置いてありました。
そしてここには嬬恋村観光商工課が作成した「草軽電鉄 全路線図」という資料が販売されています。
商工課の方の手作り感満載のこの資料、とても役に立つ。橋脚などの遺構についてもガイドされています。販売価格はなんと100円(2019年10月時点)!!
熊太郎、迷わずゲットです。
1959年8月の台風被害
施設内には前回も掲載した鉄路の跡を紹介するパネルが掲げてありました。
この吾妻川は草軽電鉄の命運を決めた場所でもあります。
1959年(昭和34年)、中部地域を中心に日本は台風7号に襲われます。
死者188名、行方不明者47名を出したこの台風(NHKアーカイブスより)、各地に甚大な被害を与え、交通インフラにも大きな爪痕も残します。熊太郎が車で通過した橋の横に架けられていた草軽電鉄の橋(赤線で表示されている)が台風7号により流されてしまいます。
観光協会から橋方面を撮影。車道の奥に電鉄の橋が架けられていました。今も河岸に橋脚の残骸が残っています。昭和30年代、さらに鉄道といっても軽便鉄道ですから脆弱な造りだったんだろうなと想像。
もともと草津温泉に行く唯一の公共交通機関であっただろうに、戦後JR長野原線(今の吾妻線)ができたり、乗合バスは発達して、利便性の高い代替交通機関ができて立場が弱くなっていた中、失礼ながらこんな零細鉄道の経営を揺るがす大災害。再建費用なんてなかったんでしょう。これが原因となって草軽電鉄は吾妻川から新軽井沢(今の軽井沢駅)までの営業を取りやめる(廃線)ことになってしまいます。バスと電車、しかも1回の輸送量がバス並みの電車となれば、どちらが優位かは語る必要もないでしょう。軌道の維持自体大変だよなぁ。。
さて、その吾妻川を渡り、次の停車駅、嬬恋駅跡地に向かいます。
嬬恋あたりを通過
ロードサイドに嬬恋駅があったことを示す案内板がありました。熊太郎到着11:46着 (3番電車は11:42着)
軽井沢方面
こちらは上州三原方面
続いて「小代(こよ)」駅といきたいところですが、草軽電鉄は嬬恋駅から北軽井沢にかけては今の幹線道路づたいではなく、小宿川そして小菅沢の流れに沿ったルートで線路が敷設されていた。
自転車や徒歩だったら行けるのにと思う反面、すでに自然に還っている部分も多く、一人で探索するには野生の動物たち、特にクマとの遭遇が怖い。
ということで残念ながら現在の幹線道路から小代駅方向の写真を撮ったのみでスルーします。
熊太郎着 11:56 (草軽3番電車着12:00)
続きまして吾妻駅。
グーグルマップだとこの中村屋酒店のあたりになっているが、家に戻って買った地図で確認したらこの幹線道路の一本奥に入ったところに駅はあったみたい。こちら草津方面
こちらは軽井沢方面。 このエリアは家が結構ありました。熊太郎着12:05 (草軽3番電車着12:17)
中間地点 北軽井沢駅到着
そして草軽電鉄は中間地点とも言えるここ北軽井沢駅に到着します。
この赤い建物、現存している北軽井沢駅の駅舎です。
駅舎の右に見えるのは。。
草軽電鉄の象徴とも言える電気機関車「デキ12」の木製の実物大模型です。その独特なパンタグラフの形状からカブトムシと呼ばれていたそう。
昔の写真を見ると廃駅になった後は線路も外され、荒廃した感じでバスターミナルとして利用されていたみたいですが、今は綺麗に整備されています。
この写真の右手が草津方面、左手が軽井沢方面です。
この草軽電鉄、日本初のカラー映画である「カルメン故郷に帰る」に出演!?しています。Huluとかで映画見られるのでご興味のある方はどうぞ。YoutubeにOfficial予告編がありました。
予告編だと 客車の一部と最後の方に主人公が電気機関車の上に撮っているシーンのみ観られるが、本編だと、現役で活躍していたデキ12型の走行シーンや北軽井沢駅が確認できます。
駅舎内から改札をみる
北軽井沢駅前面。軒下に見えるHマークは法政大学に関係しているそうですよ。草軽電鉄は法大の方の尽力があったとのこと。
駅内部に掲げてあった路線図。
そして運賃表
駅名表示板
軽井沢方面。線路はないが熊太郎には線路が見えるぞよ。
こうやってみるとやっぱり線路幅、狭いよね。
北軽井沢駅の道路挟んだ向かいに長野原町北軽井沢ふるさと館という観光案内施設があって館内に草軽の資料が展示されています。写真は北軽井沢から軽井沢方面に向かったところにあった二度上駅の駅名表示板ですね。
ここふるさと館は大きな駐車場があるので見学しやすい。またここはバスの停留所になっていて草軽交通の路線バスが通っています。軽井沢から北軽井沢を抜け、長野原に抜けるルートはまさに現代版草軽ですな。
ここにも模型が。
これなんていうんだろう?切符マシーン。
まとめ
当時鉄道で草津温泉から北軽井沢までここまで2時間。いやぁ2時間小さい電車に乗りっぱなしって行くのは結構苦痛かもね。
廃線から半世紀以上が経っているこの鉄路、熊太郎が感じたのは、地元のみんなに愛されているんだね。
北軽井沢駅 熊太郎着12:12 12:23発 (草軽3番電車は12:28着(発?)
ここから草軽は山の中に向かいます。(続く)