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年末恒例の角松敏生のライブ@中野サンプラザに行く
2022年12月10日、恒例の角松敏生さん(以下角松)の年末ライブが開催されました。(9日、10日の2Days)
角松の年末東京2Daysのライブはここ数年長らく中野サンプラザで開催され角松敏生フリークの熊太郎は結構な頻度で参加していたわけでございます。ファンクラブに入っている熊太郎は早速申し込みチケットをゲットです。。
中野サンプラザが再開発される
その中野サンプラザがいよいよ来年7月、再開発のため一旦閉館されるということで、角松としてこの年末のライブが、最後の中野ライブとなるのでした。
日経新聞の記事によると1973年開業、2022年7月2日閉館、ホールは現在のキャパ2,222人から7,000人規模になるとのこと。7,000人ってすごいね。
角松ライブの聖地? 思い出の地を訪問
そんな最後の中野ライブの日、埼玉に住んでいる熊太郎としては通常新宿で乗り換えて中野に行くのですが、感慨深い中野ライブに臨む前にふと思い立ってあるところに立ち寄ることにしました。
新宿駅で降り中野とは反対の方向を歩いていきます。超混雑している新宿の街を15分ぐらい歩くと丸の内線の新宿御苑前周辺にたどり着きます。この辺りになると人混みもなく閑散とした街になります。
新宿御苑前駅から歩いて5分ほどのこの地、この写真を見て見覚えのある方はそんなにいないのかもしれません。中央右の黒い建物にはヨドバシカメラの看板が掲げられています。さてここはどこでしょう?
東京(新宿)厚生年金会館跡地を見る
答えは新宿厚生年金会館跡地。正式には東京厚生年金会館というのだそう。
勝手に聖地なんて呼んでいますけどね。厚生年金会館のキャパは2,062人(Wikiより)。中野サンプラザとどっこいのキャパでしたね。
新宿御苑前から徒歩5分ほど。当時御苑前駅からゾロゾロ歩いたな、と言う記憶があります。
デビュー40年を超え、すでに還暦を迎えた角松敏生。熊太郎が角松の曲を聴き始めたのは高校生の頃でした。この辺りのことを書き出すと止まらなくなるので気が向いたら別途書こうと思いますが、アルバムで言うと「Before the Daylight」「Reasons for thousand lovers」「All is Vanity」この辺りは熊太郎が大学生の頃でして、時間に余裕がある大学生熊太郎は結構角松のライブに参加していたのでした。
還暦を超えても結構な数のライブをこなしている角松ですが、当時のライブツアーの本数は年50本を超えていたのではないでしょうか?
All is Vanityのライブの時は追加公演入れて東京8Days(厚生年金会館6本、NHKホール2本)というツアー。すごいです。
1991年年末、大学4年生だった熊太郎はこの厚生年金会館のライブに3回足を運んでいます。このツアーでは、ギター一本での「No end summer」から始まって青木智仁氏のベースが鳴り響き「夏回帰」で大盛り上がり。その後「I must change my life & love for me」「飴色の街」「海」と続くセットリスト。今この曲順で演ってもかなり盛り上がるでしょうね。
その参加したライブの内の一日、12月21日の回においては当時のツアーで恒例だった仮装大会ライブが開催されました。
角松が裃姿で、ブッチャー浅野さんがレスラーだった記憶があります。気になって過去のファンクラブの会報で確認してみたら、こう書いてあった(BIC会報No31より)
「本番前の楽屋では、みんなイロイロ考えていたようです。 何をかくそう角松君も考えていたのですが。。まずオープニングからぶっとびでした。角松敏生&ブルーロマンという名前でハコバン的な感じでスタートしたのです。浅野さんがピンクのスパンコールの上着にゴールドの蝶ネクタイをし、ミラーボールが回る中、司会をしてくれました。「歌は流れるあなたの胸に・・」的なフリで、「それでは夏回帰・・・」でスタート。メンバー全員白のタキシードを着て、おとなしめに椅子に座っての演奏なのです」 (中略) 「いよいよ始まった仮想大会。半端じゃなくすごいのなんの。ポンタさんはサンタクロース、青木さんがステテコ、ハラマキ、カンカン帽の植木等、浅野さんが覆面レスラー、信吾さんがバニーガール、友成さんがシスター、田中さんがバカボン、春名さんが番頭さん、コーラス2人がリオのカーニバル的なハデな格好、、イヤハヤ (中略)「Girl in the Box」のギターソロで遂に角松登場。長袴に長袴。。遠山の金さんか松の廊下かと言う格好で会場大ウケ。」
人の記憶は曖昧ですね。青木さんはカトチャンの格好と記憶していたけど、青木さんが尊敬していた(はず)植木等だったですね。ぜひ現代の「角松連合」のツアーメンバーも一度やってほしいですね(笑)
中野サンプラザは再びオープンしますが、1961年に開業した厚生年金会館は2010年に完全閉館してしまいました。
そして中野へ
そんな過去を思い出しながらいよいよ開演の時間も迫ってきたので中野に向かうことにします。
新宿御苑前駅はとても綺麗なエントランスになっています。
新宿御苑前から中野へは、丸の内線の新中野駅から向かうという少しトリッキーなコースで向かいます。新中野駅からは15分ぐらいで中野中心部に到着します。
天気も良く散歩日和です。
そして見えてくるのはそびえ立つ中野サンプラザ。
この光景が来年後半になると見られなくなるのは寂しいものです。
あえて写真も撮っていなかったエントランスの部分や12月のクリスマスの飾り付けなど撮って入場します。
10月に参加した山下達郎の最前列ほどではありませんが、今回は上の写真の座席表の前方のファーストブロックの中央付近の席が当たりました。しかも通路側だったので余裕があります。
いつもの通り飛行機を準備してスタートを待ちます。
土曜日のライブは16時半スタートと言う早めスタートで幕が開きます。
ライブレポ
※ここからの記述はライブのネタバレが含みますので、見たくない人はすっ飛ばしてください。
ほぼ定刻にスタートしたライブ。新譜の「Inherit the Life」の楽曲を中心にライブは進んでいきます。
今回のコンセプトになかなか馴染めていない熊太郎ではありますが、こうやってライブで聞いてみると「あぁやっぱり角松サウンドだな」と思いますな。そしていつもの通り長い長いMCというか漫談が随所に入ります。これも恒例ですね。
今回のライブは「中野サンプラザありがとうライブ」みたいな趣向で、過去中野で回数多く演奏した曲ベスト7(7位は3曲あったとのことで実質9曲)を披露してくれました。角松が最初に中野でライブをしたのは1986年だったそうですよ。
記憶を頼りに書きますと、
7位;Always be with you
7位:月のように星のように
7位:浜辺の歌
6位から先について角松曰く「古い曲ばっか!」とのこと。確かにね。まぁ定番っちゅうことで良いではないですか。
6位:After 5 Clash
5位:初恋
4位:Tokyo Tower
3位:No End Summer
2位:Girl in the Box
ときて、最後の1位はもちろんの「紙ヒコーキの曲」でした。
6・5・4・2なんて超鉄板の盛り上がり曲。通路側の熊太郎、2位の曲の時は思う存分ジャンプさせていただきましたよ。
ライブは3時間とまではいきませんでしたが、2時間45分くらいだったかな。
最後は中野サンプラザにありがとうの気持ちを込めたのでしょう。「これからもずっと」で締められたライブでした。
贅沢を言えば、自分のフェイバリットソングである「IZUMO」「マレビトの浜」なんて曲も演ってほしかったなと思いますが贅沢は言えません。十分堪能させていただきました。
まとめ
高校生の時から聞き始めてかれこれ36年。角松の曲を聞けば、大学生の時のこと、結婚した頃のこと、子供ができた時のこと、子供とライブに参加した時のこと、などなどその時々の人生の思い出が浮かび上がります。ここまで長く活動を続けているアーティストのファンで本当に幸せと思います。
CDが売れなくなったり、メディアが多様化している中、音楽業界は大変な状況と思いますが、細々とでも良いから、加山雄三レベルまで続けていただきたいと思う熊太郎でした。