音楽

【残念】坂本龍一逝去

まさか1月の高橋幸宏の訃報に続き、坂本龍一なくなってしまうなんてホントショック。
ガンと闘ってきたことは公になっていたので、いつかこの日が来ると思っていたが、まさかユキヒロ逝去の3ヶ月後に訪れるなんて悲し過ぎます。

坂本龍一と熊太郎

ここは先日高橋幸宏氏が逝去されて書いたものと同じ、最初に坂本龍一の存在を知ったのはYMOである。

 

多分1979年。小学校高学年の熊太郎にやってきたインベーダーゲームとテクノポップ。

どちらもクラスの男子は多かれ少なかれ興味を持っていたのではないかと思います。
YMOの3人の中の坂本龍一、芸大出身でインテリなイメージ。テクノポリスと東風を作った人。3人の中で一番興味を持ったアーティストだったな。

散開コンサートが開催されたのは1983年末。熊太郎が中学3年生で受験真っ盛りの時。高校に入学すると、YMOフリークが何人もいてね、散開ライブビデオを持っている同級生がいて、その友達の家で一緒に見た記憶があります。熊太郎は映像は持っていなかったけれど、ライブアルバム「After Service」はもちろん買っていました。
高校の頃の音楽友達とは50歳を過ぎた今でも繋がっていて、坂本龍一が亡くなった後、メッセンジャーツール(ここがおじさんっぽい!)でやり取りしたら、偶然その時彼は「TIBETAN DANCE」、熊太郎は「黄土高原」を聴いていたのでした。

YMO散開後

YMO散開後、熊太郎はジャパニーズFusionの道、すなわちカシオペア&スクエアあたりにどっぷりハマり始めます。でもYMOの活動中そんなに聴いていなかった「BGM」や「テクノデリック」なんかに妙に惹かれていましたね。

YMO3人それぞれのソロアルバムが1984年に発売され、友達と貸し借りしながらカセットテープで聴きまくっていました。すなわち、以下3つのアルバムです。

  1. 「音楽図鑑」坂本龍一
  2. 「Wild and Moody」高橋幸宏
  3. 「S・F・X」細野晴臣

  

1はレコード、2は後年CDで購入。3は友達から借りて聴いたな。

そしてこのフィールドワーク、買って聴いたなぁ。音楽図鑑もField Workも家の倉庫に残っていると思います。

良い意味でYMOの後遺症状態だった1985年までの熊太郎でしたが、その後徐々にYMOは過去のものになっていきました。

日本のFusion&POPの歴史と坂本龍一

YMOは過去のものになったしまったけれど、前述の通り日本のFusionや山下達郎などのJ-POP(今時はCity-POPというべきか)を聴けば聴くほど、坂本龍一に”再会”することになります。

中でも熊太郎を惹きつけたのはKylyn(キリン)でした。

1989年、FMで六本木Pit -Inn10周年記念ライブということで開催されたKylyn再結成ライブを聞いた時に「すごいメンバーだな」と衝撃を受けたのでした。だってこんなメンバーなんだよ。
リーダー渡辺香津美(G)
坂本龍一(Key)
矢野顕子(Key、Vo)
村上ポンタ秀一(Dr)
清水靖晃(SAX)
小原礼(B)、
ペッカー(Perc)
向井滋春(TB)
本多俊之(SAX)

このライブの放送は当時熊太郎はエアチェック(若い人知っている?この用語。ラジオ放送を録音していたのよ)していて、デジタル化してiTunesに入れている。この時の香津美さんのMCが「昔はみんな20代だったんだけどみんな30代になっちゃって」なんて話をしてね。今や60代後半から70代ですからね。

熊太郎はライブ版を購入。この中に入っているThe river must flowを聴いてジノ・バネリを聴き始めたりしてね。

当時大学生熊太郎は20歳。角松敏生を聴いていた熊太郎、角松の音楽におけるドラマーは村上ポンタ秀一でありまして、自分が聴いているミュージシャンは繋がっているんだなと思ったのでした。

 

過去の教授の作品を聴く

音楽図鑑の後に発売されたエスペラントは難解だった。その後の未来派野郎はハマりましたね。

黄土高原は坂本作品の中で一番大好きな曲ですね。破綻のない綺麗なメロディー、吉田美奈子の素晴らしいコーラス。

改めて今回の逝去を受け聴いていますが、ここにきて知ったのは飯島真理(アニメ超時空要塞マクロスのミンメイの声で有名ね)がカバーソングを歌っていたことだ。そして恥ずかしながら黄土高原は「オウドコウゲン」ではなく「コウドコウゲン」だったことを37年の時を経て知ったのでした。。

 

この時期の坂本龍一をよく聴いていた割にはライブには一度も行ったことないんだな。ステージでアクティブな教授を観ることに魅力を感じていなかったのかも。この時はフュージョン系ギター・ベースに夢中でしたからね。

 

70代初めで人生を終えるのは早いよね

病気には勝てないけれど、70代の初めで人生を終えるのはちょっと早すぎるよね。ユキヒロも教授も前出のポンタさんも70初めで亡くなっている。

山下達郎70歳。ホントこういう人は長生きして欲しいです。

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