地域名のブランド力に憧れる埼玉人 - 熊太郎
本牧。埼玉県民の熊太郎にとってはあまり縁のない土地なんだよね。関東域外にお住まいの方も特に若い方にはあまり馴染みのない知名なのではないかな?
実際、熊太郎娘に「いま本牧にいる」とLINEしたら、読み方がわからんと返ってきた。本牧は「ほんもく」と読むのであります。
本牧は横浜市中区、横浜中華街や元町商店街の奥の方、最寄駅は根岸線(京浜東北線)の山手駅です。遠いけど。
よく高速道路に乗る人は本牧ジャンクションという名前で馴染みがあるかも。
そんな本牧、熊太郎と縁は薄いけれど、熊太郎世代!?としては地域ブランドが確立されている地であり、少しだけど羨ましい。
「横浜」も「元町」もその地名を聞いて何かを連想させる。港町、異国情緒みたいなね。
一方、埼玉の「大宮」、「さいたま新都心」と聞いても憧れを伴った連想はしないもんなぁ。これは熊太郎の主観ですが。
本牧もその”憧れ地名”の一つ。それはきっと熊太郎よりも少し上の世代、70年代〜80年代前半に青春(笑)を過ごしたお兄さんお姉さん世代に憧れていたからかも。何しろ熊太郎の世代は高校時代オールナイトフジを見て、ディスコの話とか朝の4時ごろに湘南の波の有無をレポートしているのを観て憧れていた世代ですから。
米国文化を感じる目的で本牧を散歩してみることにした
本牧に初めて行ったのはマイカル本牧が誕生した時だったと思う。調べるとマイカル本牧が開業したのが1989年。多分1989年〜1992年ごろだったんだろうなぁ。
当時は雑誌しか情報源がなかった時代。マイカル本牧の情報しか興味がなく、そのエリアが昔米軍住宅であったことや、米国文化の発信地でそういったお店があったことなんて1ミリも知らなかった。現在のように手軽に街の歴史を調べることができなかった、さらには学生で暇なクセに興味を持っていなかったことが悔やまれる。
おじさんになった令和の熊太郎。それ以来訪問していない本牧を暇な土曜日、一人で再訪してみることにしたんだ。
最寄駅 山手駅に降り立つ。坂が多く駅前が狭い!
そこから小型公共バスに乗ります。道が狭いから小型なんでしょうな。本牧までバスで15分くらい。歩くと30分かかります。
並んでいた老人に続き乗車する。熊太郎がタッチするとエラーが出る。なんでだ?と思ったら皆がタッチしていたのはSUICA(PASMO)ではなく敬老乗車証だった。運転手さんに「SUICAは上にあるデバイスだ」と指示される。ちなみに熊太郎以外乗車された方は皆敬老乗車証でした。。老人大国日本です。
細い道をくねくね走り、しばらくすると大きな道に出ます。そして本牧中心地、マイカル本牧、もといイオン本牧に到着。昔の記憶と変わらん建物です。
どんなテナントが入っているかまで調べなかったけれど、30年前とエラく変わっていると思います。昔はホテルもあったけれど、現在はなくなっています。
一方、周辺のビルのテナントで目につくのは各種医院だ。ビル一棟ほとんどが医院というビルも。
朝、バスで一緒だったお年寄りも通院だったのかなと思わせるくらい病院が多い。
周辺のマンションとショッピングセンターという組み合わせで成り立っている様子。30年前に狙っていた他地域から集客は横浜中心地があれだけ賑わっているだけに難しそうです。
さてこれからアメリカ文化を思わせるお店を探索していきます。
まずはムーンアイズ。車好きには有名なところ。
建物新しかったです。
海に向かって大きな通りを渡っていきます。
渡って向かうは本牧十二天。大昔ここから先は海だったのであります。
現在はこんな感じ。知らなければ通り過ぎる緑地。
ここの緑地にはモニュメントがあって、ここが海辺だったことが説明されている。
埋め立てて埠頭作ったから今は見る影もありません。
地名が小港になっていきます。このあたり潮の香りがします。
小港、松岡直也、チャブ屋
さて、小港と言えば「チャブ屋」である。戦前から戦後、売春防止法が施行される1958年までの間、この辺りは1Fはダンスホールやバー、2Fは個室(いわゆる売春宿)というような「あいまい宿」が存在していた。
熊太郎、若き頃から傾倒していたフュージョン/クロスオーバーミュージックの中でもラテン色の濃かった松岡直也氏の生家がこのチャブ屋の「東亜ホテル」だったこともありとても興味を持っていた次第。一度その地域がどんな様子なのかみてみたかったのよ。
正直言って、というか正直言わなくても現在の小港地区は普通の住宅街だった。
そんな現代の小港で異彩を放つのがこのロイヤルホテルである。ロイヤルパークホテルではないので要注意。
屋上に自由の女神が立っています。自由の女神なんてニューヨークと岩槻でしか見たことないのにここ横浜本牧にもあるとは!
どうも普通の宿泊施設として営業していたようですが、
カラオケバーもあった模様。
なんと2023年3月1日を持って閉館とな!
これは惜しかった。せめてフロント見てみたかった。
入り口のサイン
そのロイヤルホテルの裏手にはこんな看板の残骸が。昔は米兵もいたし、こういったニーズ、あったんでしょうなぁ。
結果として小港にはチャブ屋があったことを思わせる遺構は。。なかったなぁ。
小港の栄華
小港の大通りに出て70年代から80年代の名残を探し、歩きます。
まずはライブハウス「ゴールデンカップ」
当時錚々たるミュージシャンが演ってた場所です。
その向かいにはイタリアンガーデン。
四角いピザで有名。この辺りは「リキシャルーム」というバーも存在していたが今はなし。
イタリアンガーデン「IG」です。
そしてこのIGの並びには伝説のディスコ「LINDY」
熊太郎がLINDYというディスコがかつて存在していたことを知ったのは最近のことだ。本牧に米軍住宅がありベトナム戦争の頃かなり賑わっていたようです。熊太郎が当時小学生の頃だからね。知る由もないのですが。
その後熊太郎はワシン坂を歩いて港の見える丘公園方面で歩いていきます。
急坂を歩いていきます。
ワシン坂の表示
この坂には水汲み場があるんだよね
結構狭い道です。
まとめ&本牧と歌
実際に歩いてみて正直「戦後」「昭和」「バブル」の面影はほとんど残っていなかった。でも本牧にはそれらの残り香がある気がした。きっと自由の女神のホテルは取り壊されてしまうだろう。小港のチャブ屋のことを知る人間も一部の物好きでしたなくなるだろうし、四角いピザを食べにくる人も限られた人のみだろう。
でも本牧って響きは熊太郎的には永遠よ。ディスコブームというよりバブル以降のイメージだけどね。本牧関係のワードが歌詞に織り込まれている曲をいくつかご紹介したいと思います。
1.本牧ソウルレディー クレイジーケンバンド
本牧を歌うミュージシャンといえばこの方々でしょう。クレイジーケンバンド、横山剣さんです。この曲、のっけから「LINDYの派手なネオンが輝く頃・・」ですからね。曲調もチャカカーンのWhat Cha' Gonna Do for Meですよ。
クレイジーケンバンド、アルバム「ソウルパンチ」のおまけで「Honmoku Life」という映像特典がありまして、そこで剣さんの本牧に対する想いが綴られていますYOUTUBEにあるので、検索して見てみてください。
また本牧の音楽について語っていますね。
2.DJ, I love you 杏里
あえて「杏里」と書きましたが、最近Amazonミュージックでは「あんり」というひらがな表記なんだよね。海外の人にも分かりやすいようにしたのかな?1988年発売のアルバム「BOOGIE WOOGIE MAINLAND」に入っている曲です。
何が本牧って、歌詞の中に「横浜B埠頭から恋が消えてゆくたびー」ってのがあるのよ。
横浜B埠頭は小港の先の埋立エリアです。そして2番には「本牧ロフトサイドで長い影と抱き合いー」ってのがあるのね。つまりこの先の倉庫エリアで親密な関係になるという歌詞なのですよ。
この先の倉庫エリアって夜は結構真っ暗で危険な香りもしますが。。。
3.DIVE 一十三十一
ヒトミトイさんのDIVEです。
2番の歌詞で「本牧の高台から巡り巡る日々、it's a miracle」って歌詞があるのね。これは想像ですけどワシン坂を登った先に見える横浜の景色の事を歌っているのではないかと思います。
これがその景色。遠くにベイブリッジが見えます。
この先を歩いていくと港の見える丘公園に行き着きます。これはまた次回に。