今回は沖縄編の6回目ということで、旅に後半で食べたもの。そして訪問した場所について書きたいと思います。
2日目の夜の出来事
1日目の夜はコザ(沖縄市)の居酒屋で一人飲んだ。
2日目の夜のご飯、ホテル周辺には何もない(あっても店やっていなかった)ということがわかって、Google マップを頼りに沖縄っぽいものを食べられる場所を探した熊太郎。宿から車で10分くらいのところにあった地元の人たちが集う小料理屋さんみたいなところを発見した。
中の様子を見たいところだが、入り口は中が見えない扉故、中の雰囲気が全くわからない。不安しかなかったが勇気を出して入ってみた。
1人なのでカウンターに通された。
カウンターは7席くらいあって他の席は地元の皆さんが楽しく飲んでおられた。
ノンアルビールといくつかの食べ物をオーダーし、カウンターから見上げるところに設置されている大画面テレビを見ながら過ごしていると周りの皆さんが気さくに話しかけてくれた。
沖縄風チヂミとでも言おうか。「ヒラヤーチー」
そして刺身の盛り合わせ
「どこから来たんですか?」という会話から始まり、「埼玉から来て一人旅をしていること」「平和学習が目的であること」など説明した。
そんなこんなでお店のスタッフの方々や地元の皆さんと楽しいひと時を過ごさせていただいた。地元の方から泡盛をご馳走になり、結局2時間ほどその店にお世話になったのでした。
また、沖縄に関することなども色々教えていただいた。
例えば沖縄のファストフードであるA&Wを地元民は「エンダー」って言う話とか、沖縄の人はあまり海に入らない話だとか、朝ドラ「ちむどんどん」で使われていた方言がわりと普通に使用されている、つまり大袈裟ではないという話、ドラマで描かれていた「長男を大事にする」という話は合っているが少々誇張していることなどなど。
またこのエリアの名物や訪問をすべきスポットなども教えていただいた。
この交流は我が沖縄旅行の中で一番楽しかった思い出かもしれない。
3日目の昼ごはん夜ごはん
3日目はシュノーケルがメインの日だったがその前後は仕事をこなさなくてはならない日で、まともなご飯を食べることができなかった。朝はローソンのおにぎりとサンドイッチ。
昼は車でちょっと行ったところにあった道の駅に立ち寄り、
ちょっとしたお惣菜を買って済ました。
その夜は前日夜の料理屋さんで教えてくれた場所に行ってみた。
その場所と言うのは車で10分もかからないところにある奥武島。そこにいくつか食事処があると言うところで寄ってみた。
そしてこの辺の名物は天ぷらであるとのこと。東京で食べるそれよりも衣が分厚いものらしい。
まずはこの旅初の海ぶどうを食べる。
これが天ぷら。もずくの天ぷらというメニューがあったのだが残念ながら売り切れ。ということで魚の天ぷらをオーダーした。衣が厚いくらいでまぁ味は普通。でもね、天つゆがなんとウスターソースだった。これは新鮮。
お店は結構繁盛していて、観光客よりも地元の方々が家族連れで来ている感じだった。
沖縄本島南部の訪問スポット 斎場御嶽
「斎場御嶽」全くこの4文字を読めなかった熊太郎。サイジョウオンタケ?
2日目の晩にお世話になった料理屋さんにてお店のお姉さんにこの辺で見るべき観光地って何があるか聞いてみたところ、教えていただいた場所である。
この漢字、「セーファウタキ」と読む。
最初は何を言っているのか全くわからなかった。英語の発音かと思った。昔の自然崇拝の祭壇みたいなところでパワースポットであると教えてくれた。
車で20分位だったこともあり、3日目の朝行ってみることにした。
斎場御嶽は9時からオープンと言うことで、早く到着してしまった熊太郎はそれまでの間、近くにある知念岬に立ち寄ってみた。
知念岬。青い空と青い海がとても綺麗。
その後斎場御嶽へ。
チケット売り場があるところに車を停める。そこからは徒歩。
団体の観光バスが2台到着する。団体の観光客も来るような世界に戻ったんだな。
世界遺産って知らなかった。斎場御嶽は入り口から15分ほど歩いたところにある。
祭壇ですね。
平和記念公園
斎場御嶽とは反対側、摩文仁、沖縄戦の組織的戦闘が終わった地にある平和記念公園。その組織戦闘が終了した日である6月23日に式典が開かれるあの場所である。
この施設、国営かと思ったら県営なんだね。
すごい立派な建物。中は沖縄戦というより第二次世界大戦全体の歴史についての展示がなされている。
広大な敷地
TVでよく映し出される亡くなった方の名前が刻まれている石碑。
ひめゆりの塔
ひめゆりの塔は、平和記念公園から西へ数キロ行ったところにある。
ここは伊原第三外科壕跡。沖縄戦末期、多数のひめゆり部隊が亡くなった場所。この場所に慰霊碑が建てられ、沖縄戦の中で女学生たちがどう生き抜いてきたかについての資料館になっている。
戦後70年を超え、生き証人もいなくなっていく中、過去撮影したご本人たちの証言を聞くことができる。
喜屋武岬
さらに西、という南西方面に車を走らせると、喜屋武岬にたどり着く。
ひめゆりの塔から車で10分。
ここは行き場を失った沖縄の住民が飛び降り、自決した場所。
よくNHK特集などで映し出される飛び降りて自決した女性は、ここなんじゃないかなと思う。
こんな綺麗な青い海。
熊太郎が訪問したのは7月上旬。自決せざるを得なかった人たちは同じような気候の中、この青い海を見ていたと思うと悲しくなる。
お土産選び
最終日となる4日目、飛行機は14:40那覇空港発なので12時くらいにはレンタカー屋さんに着くようなイメージで行程を組んだ。
休暇をとって沖縄に来ている手前お土産は買っておかないと、ということで時間に余裕を持って行動する。
まずは朝ごはんということで、再びA&Wに立ち寄る。この話は、このシリーズの第3話をご覧ください。
レンタカー屋さん近辺にアウトレットがあるということで寄ってみたが、結果地元のものを売っているお店はな買った。軽井沢のアウトレットに来たようなイメージだった。
お土産は空港で買うかと決断しようと思ったが、アウトレットの横に「道の駅」のような建物があることに気づき寄ってみた。
JAおきなわ食菜館
これが大当たりでちょうど季節なのかマンゴーがたくさん売られていた。
一人旅を許してくれた家族にはマンゴー4個入り1箱購入、その他会社や知人へのお土産は瓶詰めや乾き物を購入。
その後レンタカーを返却し、レンタカー屋さんのバスで空港まで問題なく到着。
peachエアーの荷物預けは90分前だったことがここでわかり、2時間以上前に着いてしまった熊太郎は暇を持て余す。
さっきA&Wで食べたばかりだが、時間があるので空港の端っこにあった沖縄料理屋さんで沖縄そばを食べる。
タラップ使って搭乗。
窓から沖縄本島南部が見える。自分が辿ってきた思い出の地がよくわかる。
沖縄戦で米軍がみた光景もこんなアングルで焦土と化した沖縄を見ていたんだろうなとも思った。
多少遅れたが、18時ごろ成田空港に到着。
ケンティーに導かれ、スカイライナーで上野まで。
京成上野駅からJR上野駅へ。外は日常でした。そして沖縄より暑い!
家族(と職場)に感謝
これが熊太郎の”わが沖縄旅”である。
この旅を許してくれた家族そして職場に感謝である。仕事がPCを持参していたので半ばワーケーションだったけど。
家族や仲間と旅する旅ももちろん楽しいのだが、一期一会の出会いや時間を気にせず行動できる一人旅も楽しい。
あと熊太郎の旅の性格として予定を詰め込むタイプなので、一人旅の場合人に迷惑をかけないところもGoodである。今回の行程を家族旅行で実行したら、家族は大反対だったと思う。