チューリッヒからミラノへ電車移動
前回の記事のとおりスイスはチューリッヒに住んでいた熊太郎が家族でイタリア電車旅行をする話の続きです。
午前中出発の直通便で4時間弱かけてミラノに到着したんだ。
ミラノのホテル
ミラノのホテルはBooking .comで予約していた。
本日の宿は翌日のベネチア移動を考慮し、中央駅に近い所を予約した。
http://www.unahotels.co.uk/hotels-1/milan/una-hotel-century
当時熊太郎が家族旅行でホテルを予約する際の検索条件は以下の通り
1.ホテルランク:★★★ か ★★★★
2.Wi-Fi:無料 これは2023年では当たり前なのかもしれないけれど2012年ごろは当たり前ではなかったのよ。
3.クチコミスコア8以上
4.4人部屋で200EUR以下 これは2023年時点では物価高で通用しないと思う。
この時のミラノ、なかなか良いホテルに巡り会えず、結局このホテルにしたんだよね。
なぜ即決できなかったか。それはWi-Fiが有料だったのだ。
まぁ普通のホテルだった。2012年当時143EURだった。今検索すると倍もしくはそれ以上の値段がする。しかも当時1EUR100円だったからね。今155円超えているから大変。(2023年8月)
仮に今のホテル代が350ユーロだとして計算すると、
2012年当時 14,300円
2023年 54,200円 となる。4倍近いぞ!
ホテルのテレビもブラウン管だった2012年。
ミラノでインテルvsミランの試合を観る。ミラノづくし!
ミラノ市内散策 1日目
宿に荷物を置き、少々休憩した後、街へ出かける。
見どころたくさんのミラノの中でも外せないのはドゥオーモと最後の晩餐である。
特に最後の晩餐は世界遺産。熊太郎妻や子供達に見せてやりたいと思い、1ヶ月前からこのサイト
で確認していたが、時既に遅し。ほとんど販売終了。電話したら予約出来たという話も聞いたのでダメモトでトライするも「満員よ」とあえなく返され終了。(電話は英語も通じた)
結局予約できなかったのでした。残念。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会 ここに最後の晩餐のあの絵画がある。これは1992年に行ったときの写真
とりあえず計画していたブレラ絵画館を見学
その後街を散策し、ドゥオーモへ。中央駅からホテル、絵画館、ドゥオーモの位置関係は以下の地図参照。
上に登るのは明日に取っておいて周辺を見て、その後Duomoが見えるデパートの上階にあるレストランで夕食
大きいです。
これは1992年2月の写真。変わんないね。当たり前か。
デパートにて。靴屋ではなくこれはチョコレート屋さん
この後夕飯を食す。
何故かメインメニューの写真はなく、デザートの写真しかない。
こうしてイタリア旅行1日目は終了したのでした。
ミラノ市内散策 2日目
2日目はミラノ観光&ヴェネツィアに移動する日である。
寝坊助の子供達を起こし、荷物をホテルに預けて観光開始である。
まずはDuomoの見学。昨日は外からだけであったが、今日は建物の中と屋上に上がる。
まずはステンドグラスなぞ。
上に登れば、建物の造形を肌で感じることができる。
ちゃんと通路が整備されている。
上から見た広場
その後、お約束のジェラート。7月の灼熱イタリアだから美味しいです。
その後ホテルに戻り荷物を受け取り。
ヴェネツィア行きの特急に乗ります。イタリアのローカル線ってボロッちいが、特急はとても綺麗でデザインもかっちょ良い。
14:05発 16:40ヴェネツィア着
4人で101.5EURだった。一人2,500円(当時はね) 安い!
これは2023年でも同様で、早めに予約しておくと安い。今でも探せば20ユーロ台で移動できる。問題はユーロ/円の為替である。
同じ100ユーロでも当時は10,000円、今だと16,000円だからね。信じられない。
おまけ 1992年のミラノ
過去の写真を探していたら1992年に欧州旅行をした時の写真が出てきた。当然ながら銀塩写真のものでデジタル化した写真です。
上の写真は2013年のミラノ中央駅
これ1992年2月の写真。左側はスイス国鉄の車両だね。全体的に暗いイメージ
電車も古ーい感じ。映画に出てきそう。右下に日付がプリントされている。平成4年2月。
ミラノ中央駅正面。2012年7月
角度は違うがミラノ中央駅。1992年2月。
駅近辺の安宿から撮影したミラノの街。冬だからか寂しい感じだ。
1992年当時はまだFiat500(もちろん前の型ね)が普通に走っている時代でした。Fiatのロゴが平行四辺形デザインのものが付いている。後期ものかな。