2023年10月にT-SQUARE45周年ライブに行ったこのタイミングで自分とT-SQUARE(The Square)の歴史を振り返ってみることにしました。
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熊太郎とT-SQUARE
今を遡ること35年以上前。高校生だった熊太郎はフュージョンミュージックに傾倒、具体的には当時絶頂期であったCasiopea、そしてThe Squareという2大フュージョンバンドのファンでありました。
中学時代傾倒し、中3の時に散会したYMOから引き継いでボーカルのない世界に進んで行ったのでした。コルトレーンやマイルスの音楽に触れたのも高校時代。そっち系の音楽ばかり聴いていたので、当時爆発的人気だったおニャン子クラブや、正統派音楽の道、The Beatlesには全くタッチせず過ごした高校時代でした。要は変な高校生(笑)
1.1984年〜1987年 傾倒期
初めてSquareに触れたのはFMラジオ番組のテーマソングになっていた「ハワイへ行きたい」だったと思います。
「ハワイへ行きたい」が入っているアルバム「脚線美の誘惑」のリリースは1982年、熊太郎が高校生になったのが1984年だから受験勉強をしていた1983年ごろではないかと思います。
リアルタイムで聴いたとなると1984年リリースの「Stars and the Moon」そして1985年リリースの「R・E・S・O・R・T」あたりですかね。
そしてその後発売された「The Square LIVE」が熊太郎にとってFANになる決定打となったアルバム。
当時レコードからCDへの移行期でして、熊太郎が初めて購入したCDはこのライブアルバムなのですよ。当然現在でも持っていますよ。(下の写真。ケースが劣化しているね)
レコードだと入りきれない3曲がCDには入っているんで迷いなくCD買いましたね。
このライブ映像がどこかのレコード屋の店頭かどこかで流れていて、そのパフォーマンスに感動したわけです。今回の45周年でも観ることができたJapanese Soul Brothersの田中さんのベースプレイです。(今はもう恒例行事?なのかもしれませんが)これ、CDは擦り減らないけれどさ、擦り切れるほど通学時聴いていたと思います。
話は戻って1986年リリースの「S・P・O・R・T・S」ではドラムスが長谷部さんから則竹さんに移行し、さらにその翌年の「TRUTH」の時にベースが田中さんから須藤さんに替わっています。
高校時代、大宮東口、現在は焼肉屋になっている場所に新星堂があったと思うんですけど、そこでお小遣いを貯めてはレコードを買い集めていましたね。先に述べたCD移行期だったんだけど、まだCDのタイトルも揃っていなかったのかアルバム「R・E・S・O・R・T」以前のアルバムは全てレコードで買っている。
当時は通常レコードが2,800円でSONYが少しレコードが厚めに仕上げてたマスターサウンド版が3,200円だった。お金ない高校生のクセに後者のレコードを買っています。
時代はデジタルっす。
通常のレコードにはない、中のケース!?付き
SONYのマスターサウンドシリーズ。看板だった松田聖子もありますね。
ライブ参加は確か1985年だったと思うんだけど、毎年年末開催されていた六本木ピットインでの「やったねLIVE」に大晦日友達と行った記憶があります。熊太郎16歳。当時メンバーの皆さんも若く元気いっぱいで、ピットインで朝までライブやっていたもんね。
これ、「打ち水にRainbow」に封入されていたもの
みんな若いよ。長谷部さん19歳って。。
年越しライブはなかなかチケットが入らなくて、ピットインの横に並んでチケットを買ったような記憶があります。「S・P・O・R・T・S」に入っている「HIT AND RUN」のタイトルが仮で「上海まぜごはん」と言われていたことを覚えています。途中休憩の時に我々高校生2人が六本木交差点のアマンドで時間を潰すという体験もここで(笑)
多分ここが六本木ピットインの跡地(2009年撮影) チケット買うのに横の路地で何時間も並んでいたような記憶があります。
その他ライブの経験といえば、1986年夏、タバコのSalemがスポンサーになって大磯ロングビーチで行われたサンダウンライブいう、まぁいわゆる無料招待ライブがあって、それに友達といった記憶がある。高校3年生で受験勉強の時期なのに(笑) まぁそれで浪人するんだけれども。。
一方、レギュラーツアーのライブに行った記憶があまりない。Casiopeaは結構行った記憶あるんだけどね。
1987年4月に「TRUTH」がリリースされ、F1ブームとともに人気も上昇。 知名度も上がってきます。その時熊太郎は浪人時代のスタート。F1を見ながら勉強していたんでしょう。
2.1988年〜1992年 ピークアウト期
熊太郎一浪の末めでたく大学に入学。その頃のSQUARE は「YES,NO」をリリース。きっとこのアルバムを聴きながら学校に通い始めたんだと思います。今を思えば大した悩みもなく毎日楽しい時間を過ごしていたのでしょう。
そして翌年にTーSQUAREにバンド名変更しアルバム「WAVE」がリリースされます。
熊太郎は高校3年の頃からジャズ・フュージョン系から徐々に他ジャンルの音楽にも興味を持ち始めます。視野が広くなってきたということか。
いろんなジャンルを聴き始めた中で、フュージョンにかなり近い位置にあった角松敏生氏の音楽にハマっていきます。職人気質の彼の音楽のバックは完全にフュージョン系。腕利きのミュージシャンで固められていますからね。インストアルバム「Sea is a Lady」の中でCasiopeaの櫻井さんがベース弾いていますし。
角松音楽から派生して、ブラックコンテンポラリー、AORなどなど聴く音楽の幅が拡がってきた頃でした。
1991年3月リリースの「NEW-S」にて伊東たけしさん脱退、本田雅人さんが加入します。
F1人気と共にSquare人気も上昇中だった中、看板とも言えるフロントマンの交代とは!と当時思ったかどうかわかりませんが、NEW-Sを聴いて、全く違うSAXプレイヤーのテクニカルな演奏がとても新鮮だったような記憶があります。音数が全然違うもんね。
よくMegalithショックという言葉を聞きますが、熊太郎はそんなにショックじゃなかったな。メンバーチェンジを繰り返して前に進むバンドだからね。
2022年に還暦をを迎えた本田さんですが当時は20代。あのルックスですから人気出ますわね。
そんな本田さんですが熊太郎的には年2〜3回は観に行く角松ライブで必ず彼のサックスを聴いていますからね。なんか音楽業界の輪廻を感じます。
大学生になった熊太郎はフュージョンから流れていった角松敏生さんがメインとなり、フュージョン系のライブには行かなくなってしまいます。
CasiopeaもSquareの新譜もなんとなく惰性で買うようなレベルになってきて、社会人になった92年ごろからは新譜購入はなくなってしまいました。
3.1993年〜2017年 無関心時代
その後TーSQUAREはは本田さん、和泉さんの時代が終わり、宮崎さんが入ったりしたということは知っていましたが 積極的に聞かなくなってしまいました。
唯一この期間で聴いたのは2007年リリースの「33」ですかね。仕事、結婚、育児と過ごしている間は全くの空白期です。
4.2018年 突然覚醒
YOUTUBEが熊太郎とTーSQUAREを再び結びつけてくれます。
検索すれば退団した懐かしいメンバーも入って周年ライブとかやっているではないか!また、RE-UNIONみたいなOBバンド構成でライブやっていたりさ。
ということで2018年に40周年ライブが横浜で開催されているというニュースを聞き、ちょうど時間が空いたのか再びT-SQUAREのライブに行ってみようと思い立ち単独で行ってみました。
これが熊太郎のスクエア復活ライブになります 昔のメンバーも来ると言うことを期待して参加した次第。
40周年ライブは非常におとなしい感じではありましたが、楽しいひとときを過ごしました。とても懐かしかった。
同年9月に栃木で開催されたR E -UNIONライブのチケット取って参加する予定だったのですが、なんとその日どうしても外せない仕事が入ってしまい、チケットは紙屑となってしまったこともありました。。
5.2019年〜現在
その後 また休眠状態になるのですがコロナウィルスが再びT-SQUAREを聴くきっかけになります。
コロナ禍家にいることが多くなり、Amazon Musicをよく聞くようになったのです。そこでサブスク解禁されているT-SQUAREのアルバムたちが目に止まります。
2015年リリースの「Paradise」や2018年リリースの「City Coaster」あたりは運動不足解消の散歩時に聴くアルバムとなっていました。
2020年からしばらくはコロナ禍で観客を入れたライブ開催ができないということで、AI Factoryの時の配信ライブは参加させていただきました。
そして2023年の45周年ライブに至るわけです。
まとめ
これが熊太郎とThe Square そしてTーSQUAREの歴史になります。メンバーの変遷はあれど45年続いているってすごいよね。
仮に現在が1990年としたらさ、45年続いているとなるとスタートは終戦の年になるわけだからね。
前回のライブレポでも書いたけど、色々なミュージシャンの交差点みたいなバンドで常に変化を許容して続いていくから、やろうと思えば坂東さんが70歳になったって、SQUAREを継ぐ若いプレイヤーが入れば継続できる。だから100年だっていけるよT-SQUARE!!
途中で解散しちゃったり亡くなってしまうアーティストがいる中でずっと続いているバンドの音楽に触れられることに幸せを感じます。
以上、これが熊太郎とT-SQUARE の歴史でした。オソマツサマ。