語学

久々にTOEICを受けてみた話

熊太郎 英語能力の現在地を知りたい

熊太郎、現在50代前半。

この先何年仕事して、何年生きるのかわからないけれど、一つの目標としてせめて外国語、特に英語は不自由なく操れて、仕事や老後の生活において交流の幅を広げたいと思うのであります。

まぁ先々のことを考える前に英語で仕事しなくちゃいけない現在、まさに差し迫った危機でもあります。

英語なんてスコアじゃないのは十分承知しているのですが、現在地を把握しておこうとちょー久々にTOEICを受けようと思ったのであります。

別段スコアが会社の昇進に影響することは全くないんだけど、英語に向き合うきっかけにならないかな、と思い申し込みました。

TOEICを申し込む

TOEICのウェブサイトを見ると大体月1〜2回、同日に午前午後の2回試験をやっていることがわかりました。このままWEBで申し込みができます。
大昔は本屋さんで申し込んでいたなぁと思う。

概ね試験40日前位に申し込み締め切りです。なので急に思い立って試験受けるってことはできませんので要注意。
熊太郎は10月2日に受験したのですがこの決意をしたのは8月ごろだったと言うわけであります。

ウェブ上で申し込みをして代金はカード払い。受験料は7,810円。試験会場は埼玉県を指定します。

今回も前回同様会場は東大宮の芝浦工業大学が指定されましたが、いくつかある選択肢から選択できるのではなく、受験票が送られてくる段階で初めて受験会場がわかる仕組みです。埼玉東地区在住で埼玉の西側だったら面倒だね。
前回2014年の夏ぐらいに当時高校生だった娘と一緒に受験して以来の試験。記憶では今回は6回目の受験になると思います。

熊太郎のTOEIC成績(戦績)公開

恥を忍んで公開します。

受験履歴

  • 1回目:1990年代 460点 :全く英語での仕事もない時代、なんとなく受けた時の結果
  • 2回目:2000年代 535点 :この時代も英語での仕事がなかった頃。呑気な時代でしたな。
  • 3回目:2010年 680点 :会社の有料英会話教室に通い、ひたすらディクテーションを実施した結果が実を結ぶ
  • 4回目:2012年 800点 :欧州駐在時。もしかすると我が人生一番英語のシャワーを受けていた時代。シャワーといってもドイツ語圏なのでたいして英語のシャワー浴びていないですが。
  • 5回目:2014年 715点 :日本帰任後、娘となんとなく受けた時のスコア。使わないと劣化します。

1番スコアが高かったのはスイス駐在時代に受けた時。その時は800点でした。前回の2014年は帰国後しばらくして受けたものの715点。やはり使わなければ英語力は落ちてしまうのだなとしみじみ思いました。

1番最初に熊太郎が30代の頃に受けた時。

1回目:1990年代 460点

会社の要請もなくなんとなく受けたらこんな結果だった。鉛筆転がすよりは点数良いかな、というレベルだね。当時の会社はグローバル化のかけらもない時代で、仕事上資料の英訳なんてこれっぽっちもなかった。

その後何を思ったが、自費でベルリッツ日本橋に通い始めたんだよね。マンツーマンなんて費用が高くてとてもとても。で6人ひとクラスのような形で仕事終わった後通っていました。

子育て費用もあり、結局長続きせず1年くらいでやめちゃったと記憶しています。

2回目:2000年代 535点

その後どう勉強したのか全く記憶にありませんが、気まぐれで受けたらこの点数だった。この頃も国内営業をしていたこともあり英語を使うことは皆無。人間追われないと動かないもんだ。

3回目:2010年 680点

2008年に転機が訪れます。私の職場の周辺に外国人がやってきたのです。外国人役員。黒船来襲ってヤツですかね。コミュニケーションを図るには英語を使うしかありません。
そんな中、会社が週2回(だったかな)月5,000円で会社の英会話学校を開設してくれた。仕事が忙しく休む時も多かったけど受講したことで次第に英語力が上がっていきます。

まずやらされたのはディクテーション。とあるストーリーが入っているCDを渡されて「一言一句書き取ってくること」と言われ、必死に聞き取っていたらなんとなく英語が頭の中に入ってくるようになった。あとiPod(懐かしい!)アプリの「瞬間英作文」シリーズが出たての頃で、そのアプリでベーシックな構文を頭に入れるのも効果があった。

  
そしたら一気に150点ほどスコアが上がった。

4回目:2012年 800点

そして2011年秋にスイスはチューリッヒに赴任することになります。最初は苦労の連続でした。仕事で関係する欧州各国、ドイツ、オランダ、ベルギー、そしてスイスと全て英語はネイティブではない国であり、アメリカ、イギリスに比べればマシなのかもしれませんが、言ってることがわからん、という毎日でした。

アメリカ、イギリスであれば日常生活自体が英語漬けである反面、チューリッヒの場合は街中はドイツ語。これでは英語に触れる時間が少ないと、スイスからわざわざフィリピンとネットで接続し、夜な夜なSkype英会話をしていました。

熊太郎はKeyeye(キーアイ)という英会話を利用していました。

やはり生きるために英語を使い、Skype英会話で英語力向上に励む。そしたらスコアも800点になりました。

これがそのスコアカードです。

 

5回目:2014年 715点

2014年に帰任。全く英語を使う仕事と離れてしまいました。Skype英会話は続けていましたが英語に触れる時間も減り、またモチベーションも減ってしまいます。そんな中、娘がTOEIC受けるっていうんで一緒に受けるわーってことで親子受験。結果は当然スコアダウンの715点

ListeningもReadingも下がっていますね。

受験前のお勉強

そして今回、受験した訳ですが、まぁ今回はベンチマークっちゅうことで”ノー勉”で臨もうと思いましたが、最低限の準備位はしようと、昔持っていたDSのソフト「TOEIC TEST DS トレーニング」を一通りやることにしました。

スイス赴任前に購入したのですが、家中探しても見つからず、BOOKOFFで探して250円で購入。

 

試験までの1ヶ月間、暇を見つけてはDSでお勉強。今時普通のDSで遊んでいる(ように見える)50代のおじさん。かなりシュールです。

21日で1,020問一通りトレーニングを行う。残念ながら時間なく不正解問題の復習できず。ここが重要なのにね。正解率を計算すると74.6%ってことは750点レベルっちゅうことか。

試験当日

前述の通り試験会場は東大宮の芝浦工業大学。東大宮から徒歩15分くらいかな。

試験会場はTOEICだけでなく、違う試験も開催されていたようです。

 

この会場では600人強が受験していました。(午前の部)

1つの教室で90人位。着席して周りを見渡すと、、熊太郎はかなり年寄りの部類というのに気づく。みんな若いよ。留学なのか会社の要請なのかわからんが、みな何かしらの目的を持って臨んでいるに違いない。まぁ熊太郎も仕事の質向上や、老後の生活を楽しみたいっていう目的があるにはあるが。

で、試験開始。まずはListening。これは順調にこなす。その後Readingに移るとさぁ大変。

言い訳に聞こえるかもしれないが、もう歳でさ、英語力の前に集中力が続かないのよ。しかも老眼で老眼鏡かけても小さい文字見にくいし。

8年前に比べて劇的に変わったのは、ものが見えなくなったことと集中力が続くかなくなったことがモロに試験に影響。

あっという間に時間が過ぎ、全部答えられず。

結果発表

試験後1ヶ月くらいしたところで郵送で結果が送られてきた。

結果は725点。Listeningはなんとスイス駐在時代より高いスコア。過去最高。

一方集中力が続かなかったReadingは惨憺たる結果。駐在時代と同程度のスコアだったら800点越えだったのに。

驚いたのはToeic DSトレーニングのスコアとかなり近い結果だったことだ。ってことはDSトレーニングの結果を知れば7,800円出して受けなくてもOKってことか。

この結果をベースに英語力向上に努めていこうと思う。BBCラジオで言っていることがわかるようになるレベルまで頑張ろう。

おまけ 一蘭

テスト終了後、ちょうどお昼。少し足を伸ばして一蘭のラーメン屋に行ってみた。

 

仕切り板のある独特の座席。COVID-19時代に適しているね。

美味しかったです。

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