これを書いている2026年10月から遡ること11ヶ月。2025年11月に登録日本語教員試験(試験ルート)を受験した熊太郎、翌月奇跡の合格を果たしたのあります。
↑合格に至る話はこちら
その後についてまとめて書きたいと思います。
熊太郎、日本語教師になる。その経緯
結論から言うと2026年10月より日本語教師として新しい人生をスタートしました!
2026年2月に海外赴任先の上海から日本に帰国。いろいろ考えた末、30年以上お世話になった会社を退職しました。
もちろんすごく悩みましたよ。大学卒業以来一つの会社で働いてきた熊太郎、別に会社嫌いじゃなかったし、直近の勤務先であった上海勤務だって社内外の関係者の皆さんには本当によくしてもらった。正直上海を離れがたかった。(異国で働くワクワクさもあった)
一方、単身赴任故、家族のことや老いた親のサポートのことはとても気がかりだった。
でもね「人生は一度きり」なのです。やってみたいことにフタをして生きるべきかどうか?
今回日本語教員試験に合格したということが背中を押し、新しい道に進んでいこうと決意しました。
子供たちも社会人になり身軽になったってのもあるんだけどね。
登録日本語教員になるには?
登録日本語教員は試験ルートで基礎試験と応用試験に合格しても、教師にはなれません。「実践研修」という研修を修了しなければ日本語教師にはなれません。
上海で仕事をしているままと実践研修を受講できないわけですよ。辞めた理由の一つにこの点もありますね。
実践研修難民になりかける
2月に帰国するまでの間、実践研修を開講する学校の資料をウェブで見る。ただ退職に向け連日忙しく、学校にコンタクトする余裕などなし。
帰国後、新宿・高田馬場、この辺りの日本語教師養成学校で実践研修を受けてくれるかどうか確認したところ、4月入学のコースはどこも一杯で受け入れ不可との返事。しかもその次の開講が不明、ないしは早くても下期との回答。
だいたい試験ルートの合格者が1,000人規模出ていてさ、学校ごとに微妙に異なるんだけど受け皿となる実践研修の枠は1クラス10人レベル。全く需給バランスが合っていない。こうなると試験ルート合格者で実践研修難民が出るわけです。合格後すぐ動ける人はいいんだろうけど。
前述のとおり熊太郎は上海にいたわけで、完全に出遅れ組の難民。
途方に暮れつつ根気よくWeb検索をしたところ、とある、というか結果的にお世話になった学校で募集をしているのを発見した。
そこは4月開講ではなく7月からスタートと言う。まだ募集していることがわかり相談に行きました。
これも運命なんだと思っているんだけど、あと一人分枠が空いてるとの事(限定商法でなかったです)
もう藁をもすがる気持ちで即入学意思を示しましたよ。
この学校は、実践研修を受けるだけではなく、ど素人の合格者のために実践研修の前講座ということで初級教え方講座を設けているという。経験がなければ一緒に受けたほうがいいですよ、とアドバイスをもらう。
過去家庭教師はおろか、塾講師もやったことがない熊太郎としても懸念を抱いていた部分なので、一緒に受講することにしました。
ということで、6月から初級教え方講座、7月から実践研修という流れで受講することが決まりました。
そんなことで2月末で会社を辞めて6月まで時間が空いたのでパリやらスイスに3週間旅に出ていたのでした。(遊んでいた)
↑フランス・スイス・中国滞在記はこちら。日本語教員とは全く関係ありません。
初級教え方講座&実践研修受講
ということで6月より無職、もとい学生として新宿にある学校で登録日本語教員に向けた講座を受講する。
多彩な受講メンバー
まず新鮮だったのが受講メンバーである。
これから人生のキャリアを積む大卒ほやほやの人、学校の教師資格を持っている人、熊太郎のような社会でキャリアを積んだ人、なかなか一般企業では出会えないようなメンバーだった。親子ほどの歳の差がある”クラスメイト”と受講するのが面白い。
新宿に通う楽しさ
授業もそうなんだけど、いままでの会社生活はどちらかというと山手線の右側エリアの職場だった熊太郎。朝の新宿に通学することがすごい新鮮だった。新宿って雑多な街だからね。朝の飲み屋街とかね。あと受講後の帰りも楽しい(誘惑が多いw)

↑朝の新宿。新鮮です。だいぶ慣れたけど。

↑新しい店を開拓するのも楽しい
研修は楽勝ではない
さて、想定していたんだけど、研修は楽しくも大変だった。全く違う世界ですよ。会社では役員とかにプレゼンするみたいな事は数え切れないほどやってきたけど、人にその人が知らないことを限定して言葉で教えるなんていうのは当然初めて。
もうダメ生徒でしたよ。先生方からは「その言葉はこのレベルの学生は知らないから使っちゃいけない(ここで”語彙コントロール”という言葉を知る)」「熊太郎は理論的に説明しすぎる」「説明するんじゃなくて、いかに生徒に話させるかがポイント」とか、ビジネスの世界から抜けきれてない熊太郎は毎回洗礼を受けていたのでした。
まぁここで前述の語彙コントロールという言葉を初めて知る位ですから、なにもかもど素人ですよ。ホワイトボードの書き方、文字の大きさ、正しさなんていうのもね。。もう板面は破綻状態ですよ。 言い訳だけど会社で説明するときにホワイトボード使わないからね。部内個人打ち合わせでササっと書くくらいだったから。
これをやらなくてはいけないと言う新鮮さと同時に高いハードルを感じたよ。
実践研修は、イメージしやすい言葉に換えれば”教育実習”みたいなもんです。最終的に実際の日本語を学ぶ生徒の前で授業を行います。
まずは模擬授業をする前に教案を作成します。教案ーこれもこの世界に入って初めて聞いた言葉なんだけど、授業の内容とタイムスケジュールを記した台本ですな。これがまず、プロの先生のチェックで何回もダメ出しをくらう。またPCのパワポとホワイトボードを駆使しようとして準備するんだけど、やりすぎると「策士策に溺れる」で授業が時間通りに終わらなかったり、授業が破綻したりする。日本語ネイティブスピーカーとして細かいところまで教えようとするとレベルによってはやり過ぎ感がでるのかなとも思った。
その後、プロの先生が教室に後ろにいて模擬授業をするんだけど、これがまた緊張する。生徒というよりもプロ先生の目が緊張を助長させるんだよね。まぁ会社のプレゼンでも自分より超詳しい人が同席しているとビビるのと同じ。
何回か授業をやって、それが実践研修の結果合否の大きなファクターになる。
プロの先生(師匠)「熊太郎、初めて教壇に立ってどうだった?」
熊太郎「いろいろ課題はあると思いますが、一番の感想としては人に教えることがものすごく楽しかったです。」
師匠「先生が楽しくないと生徒も楽しくならないのでそれ大事」
この点は救われました(笑)
この道を志したのは、会社で社会の役にたつ以上にもっとダイレクトに人が成長するのを助ける(役立つ)ことをやってみたいということだった。
人生の後半になって社会還元というのかな、いままで自分が学んだことをダイレクトにOUTPUTしたかったんだよね。
成長したい人が興味を持って熊太郎の説明を聞いたり、反応してくれると言うのはとても楽しい。
これは会社の仕事、少なくとも熊太郎がやっていた仕事ではなかった感覚。8月前半で実践研修が修了し、無事に、というか何とか合格したのでした。

日本語教員登録、そして日本語教師へ
次にやらなくてはいけないのは資格登録である。基礎試験と応用試験は2025年12月に合格して合格証書を持っていのだが、実践研修修了証を文科省に登提出し、録日本語教員としての登録しなければならない。これ結構時間がかかります。
とは言え9月の登録申請ですから試験の直後の正月明けより文科省の時間は空いているはず。それでも半月から3週間位かかりました。ということはピーク時は結構時間がかかるんじゃないかな。
登録申請と並行して大学以来となる就職活動をしましてとある日本語学校に採用してもらいました。(採用先は割愛)
昨年の10月時点、一年後自分が日本語教師になってるなんて微塵も思っていなかったけれど、人生には流れってのがあって導かれるような道があるんだって熊太郎は思っていまして、その流れに乗った感じです。ただその道は自分がやってみようと言う気持ちがあるとなんとなく見えてくるもんなんだよね。
登録日本語教員試験を受験する人へ(特に試験ルート)
2026年は11月8日に登録日本語教員試験があります。
いまラストスパートで聴解問題とか、口腔断面図問題演習とかやっている人と思います。
特に試験ルートの人は養成ルート受験者以上にこれからどうしようかな?って思って受験している人が多いんじゃないかな。
熊太郎の話が参考になれば幸いです。
受験者の皆さんは最後まで諦めず、体調に留意し一日がかりの試験を乗り切ってください。

↑朝の新宿三丁目の伊勢丹

