国内旅

おじさんの伊豆半島一人旅 - 下田外浦海岸と金目鯛

伊東にあるまぼろし博覧会を後にした熊太郎、最終目的地の下田に向け南下していきます。

前回までの話は↑こちら

伊豆半島最南端の地 下田へ

まずは下田市街の手前に位置する外浦海岸に向かいます。
外浦海岸は今を遡ること40年以上前、熊太郎が小学生の頃、毎夏親戚家族と一緒に海水浴に行った思い出の地なのであります。
40年の時を経て外浦海岸がどうなっているか?そして当時お世話になっていた父が勤めていた会社の保養所(すでに売却されている)がどうなっているか?を見てみようというのが目的です。

まぼろし博覧会から一時間ほど。

外浦海岸の思い出

外浦海岸は伊豆急下田駅よりも東側にある海水浴場です。

国道から少し離れたところにあるこの海岸。当時熊太郎一家は車を持っていなかったので下田駅からタクシーで当地に向かっていました。

まぁさすがにはっきりとは覚えてないんですが、あーこんな感じで下田駅からタクシー乗って国道を右に折れて海岸方面に向かったなというのはおぼろげながら覚えています。

道に迷うこともなく目的の”元保養所”に到着。その保養所の建物は今も健在で、”ならいの風”というホテルに生まれ変わっていました。

さすがに「昔、ここで夏休みを過ごしていました!」なんて言っても「なんだこのおじさん?」と言われかねないので、敷地の外から建物を見ます。

エントランスの感じ、入り口の階段なんかはそのままなんじゃないかな。

奥に庭があってそこから海岸に出られたんじゃないかな。40年前の楽しい夏休みの思い出の地再訪でありました。

外浦海岸の民宿街をぐるっと一周すると海岸通りに出られます。海岸沿いの駐車場に車を止め、しばし休憩。

いやぁーなんか懐かしいねー、って、はっきり覚えてないんですけどこんなロケーションで海水浴していたんだよね。西城秀樹とかシャネルズとかデビュー間もないサザンなどの曲が海岸で流れていましたよ。高校野球の音声も海水浴場で流れていて、工藤公康さんが甲子園で投げていた実況を何故か覚えている。今の愛工大名電高校だよね。調べたら1981年のことだった。熊太郎が小6の時ではないかと思います。

そう言った断片的な記憶をまとめると1976年から1981年の間あたりにここに来ていたのだと思います。

夏の時はもっと濁っていたような記憶があるのですが、早春の海はとても綺麗。いつも黒い砂の湘南海岸ばかり行っていることもあり、この白い砂が素晴らしくみえる。

家に帰って昔の写真を発掘してみました。

紙焼き写真の右に「77年」と書いてある。小学校2年生(3年生?)の時かな。この写真の左上にある海の向こうにあるこんもりした山みたいな地形に注目していただきたい。

1977年から46年経た2023年においても”こんもり山”が見える。ちょっと感動です。

下田で金目鯛を食う

思い出を辿った後は、下田駅に向かいます。

目的は遅い昼食、せっかく下田に来たのだから金目鯛を食べようと計画。

あらかじめ食べログで金目が食べられる店をチェック済みで、その時の感覚で決めようと思っていました。

時間は14時。日中通し営業している店にしようということで、「なかがわ」というお店を訪問しました。

 

東急ストア&しまむらの駐車場に車を止め、街中へ歩いて行きます。駐車場から徒歩5分ぐらいでお店に到着。時間的に閑散といて入店するのを躊躇したら、お店の方が「どうぞ〜」と促してくれまして入店。お店自体は2階にあって階段を上っていきます。

お店は熊太郎一人の貸し切り状態です。

メニューをチェックし迷わず煮魚(金目鯛)定食をオーダーすることにしました。キンメの刺身も食べたかったので聞いてみたのですが、残念ながら今日は漁で上がっていないとのこと。残念です。

煮魚故15分ぐらいかかるということでスマホを見て時間を潰そうかと思っていたら、外国人が一人入ってきました。

旅の醍醐味というか一期一会というような話ですけど、店のお母さんは英語が喋れず、また外国人の方も日本語がしゃべれない様子。

噛み合わない会話をしているようだったので見るに見兼ねて熊太郎、英語/日本語でのやり取りを手伝ってあげることにしました。

色々店のオススメを説明してあげた結果、彼も煮魚定食をチョイス。彼は連泊するみたいで「明日は海鮮ちらし丼を頼むよ」とのこと。

定食が来るまで二人きりになったので、しばらく英語で彼と話をすることになりました。

彼はイタリアのミラノ出身。名古屋出張があり、週末時間があるので下田に来たのだろう。

熊太郎「京都とかに行けばいいのになんで下田なの?」
イタリア人「伊豆半島が気になって下田に来てみたんだ」
熊太郎「俺チューリッヒに住んでいたんだ。チューリッヒにいた時ミラノにも行ったよ」
イタリア人「へー、スイスは物価高いよね」
熊太郎「君が下田に来るのをイタリアで例えれば、日本人がシチリア島のタオルミーナ(海沿いの保養地)に行くようなもんだよ」
イタリア人「タオルミーナ(笑)」

彼はイタリア系有名な車の部品メーカーの社員とのこと。この後しばし車の話で盛り上がります。

程なくして金目鯛到着

美味しくいただきました。

イタリア人に別れを告げ、店を後にします。

熊太郎「チャオチャオ!」

イタリア人「チュース(チューリッヒで使う”またねー”という意のドイツ語)」

下田駅訪問

食後散歩を兼ねてこれまた思い出の駅、伊豆急下田がどうなってるか見てきました。

ここも訪問するのは40年ぶりじゃないかと思います。

温暖な地の終着駅だけあって、「南国風の明るい雰囲気の駅」という記憶があるのですが、今回天気も良かったのもありますが、写真の通りリゾート地の雰囲気がでています。

お約束の黒船

駅前

ちょうど特急踊り子がとまっていました。

熊太郎時代は183系でした。185系の時代を経て現在はE257系になっていますね。

この後東急ストアで帰路に向けた食べ物飲み物を買い込み、いよいよ埼玉に帰ります。

道を間違えハードな帰路に

帰りは沼津インター経由で帰ったのですが途中スマホナビの設定ミスでとんでもない細い峠道を徹こととなり大幅に時間と体力をロスしてしまいました。いちご狩りや沼津港のお店立ち寄りなどもできず、疲労困憊した熊太郎はそのまま沼津ICから高速に乗って埼玉に帰ったのでした。

仁科峠。暗くなる前に通過できて良かったです。

今回の旅の総走行距離530キロ、久々にこんなに運転した週末でした。

久々の一人旅。結果として昭和の思い出を確認する旅になりました。

疲労困憊でしたが充実した24時間の旅でした。

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